碓井優 - 続・私の出逢った人

私の出逢った人(6) 2003/11/28
麻布自動車の渡辺喜太郎と言う人がいます。
この人はバブル期には、 世界の金持ちベストテンに入っていた人です。この人との出逢いは、 まったく思わぬところから突然やって来ました。
ある日、渡辺ミッチー先生から私のオフイスに電話が掛かって来ました。ご存知元大蔵大臣渡辺美智雄先生です。この頃ミッチ−先生は真藤さんの一番の理解者で、何かあるとミッチ−先生の所へ駆け込んだものです。
「君は麻布自動車は知ってるな?」「はい、派手な外車を売ってるとこでしょう」「そうだ、そこの渡辺喜太郎という社長に逢ってやってくれよ」「先生、かんべんして下さいよ!私は外車を乗り廻すような趣味はありませんから」「違う!車を買えと言ってるんではない。経営のことでの話だ、兎も角逢ってやってくれ」ミッチ−先生からの話では断るわけにはゆきません。
あらためて座敷をもちました。身丈は小さいが、ネアカで、あっけらかんとした人でした。「私は困ってことになってるんですわ、なんとか助けて欲しいのです」「はぁ、、私で出来ることなら?」「実は、私、株をいじってわるさをしてるんですが、売るに売れず、買い進もうとしても市場にもう株が無いんです。身動きつかなくなってるんですわ」「それで、私にどうしろとおっしゃるんですか?」「真面目に経営して欲しいんですわ、お願いしますよ」とんでもない事を言い出したのです。
聞いてみると、市場で買いまくって、気が付いたら30%を越えるほどになっていて、もう、市場に株が無い状態になっているというのです。
「渡辺さん、そう簡単なわけには行きませんよ、すでに名乗り出たのですか?」「いや、まだ何もしていません」「無理ですよ、二部の会社とはいえ組合も在るでしょうしね」「そこのところを、貴方の知恵で何とかなりませんか」「ミッチ−先生からの話ですから、一応検討はします、大手商社とも相談してみますよ。しかし、余り期待しないで下さいよ」「いやぁ、、余り悠長なことを言ってはおれないのです、追い詰められているんです」「どお言うことですか?」「実は、私、ハワイのホテルを買ったんですが、そのデリバリーが来月に迫っているんです、ところが、00銀行の頭取から、お前のように株でわるさをする奴には金は貸せない、といって断られてしまつたんですわ。デリバリー出来なかったらえらいことになるんですわ」「そう言われても、時間的に無理ですよ」「でもね、頭取には、わるさじゃない、真面目に経営するんです!と言ってしまってるんですわ」「えぇ、、」「そこでお願いですが、纏めるのは後で好いですから、一度、頭取に逢って、真面目に検討してると言ってくださいよ」この時、私はピンときた。この男は私の後ろをみて話しをしているな!恐らくミッチ−先生の入れ知恵だな。
「渡辺さん、それは、私一人が座敷にでれば良いのではないでしょ、もう一人必要なのですよね?」「さすが察しがいい、お願いしますよ。恩にきます」私は真藤さんの所へ行き、あらかた話をして、「親爺さん、黙って料理だけ食っておいて下さいよ、何も言わないで下さいよ」 念を押して、座敷をもつた。
案の定、頭取は真藤さんが座敷に居ることで安心したのでしょう、喜太郎さんは、無事金を手にしてホテルのオーナーに納まったのです。
その喜太郎さんも、バブルがはじけると崩壊してしまい、今は刑事被告人となり、裁判中です。引っ込み思案では事業は延びないが、図にのつてはいけない、ということでしょう。人の事は言えませんがね。
次回は、この喜太郎さんの驚くべき身の上話をしましょう。

私の出逢った人(7) 2003/12/1
こ渡辺喜太郎さんは無事ホテルのオーナーに納まりました。
では、なぜ彼がハワイにホテルを買う気になったか、と言うことについて触れておきましょう。彼は小佐野さん(故人、ロッキード事件で有名になった)と親しくしていました。或る時、「喜太郎さん、株をやるのも良いが、リスクが高いだろう、もっと国際的に金を廻す時代なんだから、ホテルでも買ったらどうかね」と薦められたのがきっかけだそうです。それよりも、私は喜太郎さんの身の上話を聞いて感動しました。
彼は、戦災孤児なのです。歳は私よりも一つ上です、両親は東京大空襲で無くなったのだそうですが、未だに、どこで亡くなったのか知らないのだそうです。その時彼は集団疎開で田舎の寺に居たのです。
元々付き合いのある親戚が無かったようですが、終戦と共に親が迎えにきて、一人、また一人と疎開先から子供達が引き上げて行くなか、彼には誰も迎えに来てくれる人は無かったのです。しばらくして、父親と親交のあった人がやって来て、「お前は帰る所が無いのだろ、私のところへ丁稚奉公に来ないか?」と誘われたのです。何でも、宇都宮の近くで機織りの工場を持っていた人のようです。
「それからは大変でしたよ、”おしん”はテレビで見ましたが、あんなものじゃあ無い、寝る暇も無い位働きましたよ」「夜の明けぬうちに起きて、夜中まで働いて、夜中には器械の保守点検をやり、休みの日は、親爺(社長)の畑を耕し、まったく遊ぶ暇など無かったですよ」
彼は、そこで7年奉公し、奉公明けにお礼奉公を一年やったのだそうです。
そして、生まれ故郷の東京へ帰ったのです。東京に帰ると直ぐに中古車を売る店に勤めたのです。なぜそれを選んだかと言えば、その頃は一台売れると2,3人分の給料が払えるくらいマージンがあったのだそうです。「今までのことを考えれば、車を売るのは大したことはありませんよ、私は、買って下さい!買って下さい!としつこくしないのです。挨拶を済ませたら、朝早く起きて、その人の車を毎日掃除をしておくのです」「そのうち、お前は感心な奴だ、お前から買ってやる。と言って買ってくれましたよ」他のセールスの3倍くらい売ったようです。
ところが、運の悪いことに、この店がトラブルに逢って倒産したのだそうです。彼は次に自転車屋に奉公にはいったのです。そこで、車販売の知識を利用してバイクを売ることを薦めて、その店に莫大な利益をもたらしたようです。店の親爺は大変喜んで、「のれん分けしてやるから店を持て」と言ってくれたのですが、丁重に断って、自分で中古車販売にのりだすことを決断したのです。幸いに今まで金を使う暇がなかったので金はありました。彼は全部はたいて麻布に土地を買ったのです。
その頃の中古車屋は、如何にしてメーカーから車を廻して貰うかにかかっていたのだそうです。彼は日産の石原社長に可愛がられて、車は廻ってきたようです。それからは、金が出来ると、港区内に限定して土地を買い増して行ったのです。バブル期には、それらの土地が物凄い価値となり、それを担保に金を借りて好き勝手に投資していたのです。
その絶頂期には随分政治家とも付き合ったようです。渡辺会と言う名の会がありました。私もその会の座敷に何度か呼ばれました。喜太郎さんと、ミッチ−先生と、読売の渡辺の恒さんの三人組です。
この様に、バブル期は皆浮かれて快人物を輩出したのです。

私の出逢った人(8) 2003/12/4
バブル期に渡辺喜太郎さんと共に名を馳せた人物で高橋治則さんが居ます。
彼は私よりもずっと若いのですが、金集めの天才でもあり、事業家としても壮大な夢を持ちつ続けた人です。しかし、今は挫折を余儀なくされ、刑事被告人として裁判中です。
なにせ、借金が半端ではない。一兆七千億ですからね。金融機関もよくもこんなに貸したものだと、全くその無節操ぶりには呆れてしまいますよね。ゴルフ場開発、大リゾート開発、リーゼントホテルの買収等々数へればきりがありません。彼は政治屋の山口敏夫さんといつもつるんでいました。表は高橋治則、裏返すと山口敏夫と言われたものです。
もう一人いました、この人物はつるんでいたと言うよりもくつっいていた、と言う方が正しいでしょう、ご存知、千 昌男さんです。彼は則ちゃん(私達はこう呼んでいた)が香港でホテルを買うと、彼もそれよりも小さいホテルを買う、ゴルフ場をやれば、自分はゴルフは出来ない癖にゴルフ場をやる。と言った調子です。則ちゃんと座敷を持つと、彼もかならず顔を出しました。本物がカラオケをやるのですから皆喜びますよ、彼は自家用機を持っていました。727を改造した凄い奴です。この飛行機に銀行団を乗せて海外に行くと、だいたい一千億程度の買い物をしていました。今は本人が理事長をやっていた、信用金庫を潰したということで罪に問われていますが、五百億位ですから、彼の借金からくらべると僅かな額でしかないのです。最初の中東支援の額が一千億ですからね、無茶苦茶な借金ですよ。でも彼は人が良い、若いので必ず何らかの形で立ち直ると思います。
さて、色々具にもつかぬことを書いてきましたが、私ばかりが掲示板を使っているようで気が引けます。おまけに、コンピューター商売をしていながら、パソコン打つのが苦手ですからね、また、政治家の話になると、さしさわりのないとこを摘まんで書かねばなりませんので、少し休みます。その内気が向いたらまた書きます。

私の出逢った人(9) 2004/7/29
ご無沙汰です。
掲示板に最近の投稿が無いようなので、また少し書いて見ることにします。
最近、プロ野球の合併問題や、1リーグ制の是非について賑やかに議論されているようです。中でも読売の渡辺ツネさんの言動が物議をかもしているようです。私はこの渡辺のツネさんとは何度か会食したことがあります。当時は読売の副社長でした。この頃から社長の椅子は間違いなくツネさんのものだと言われていました。
前々回のどこかで触れたと思いますが、渡辺会というのがあって、そこで会っていたのです。渡辺みっちい先生と、麻布の喜太郎さんと、ツネさんの三人の渡辺で作った会です。
その当時は、始めから終りまでツネさん一人で喋っていました。
それも聞くに堪えないスケベ話を延々と話すのです。あのみっちい先生が喋る隙がないのですから凄いものです。どれくらい凄いかと云うと、みっちい先生と真藤爺さんと私で食事をすると、二時間のうち、爺さんと私が話す時間は二分か三分しかないのです。それほどにお喋りなみっちい先生が喋る隙が無いのですから想像がつくでしょう。
当時の私の観察では、ツネさんと言う人は随分用心深い頭のいい人だと感じたものです。何故なら、マスコミの御大ですから政治家には隙をみせない方が良いのです。それ故に具にもつかないスケベ話をして、相手に入り込む隙を与えないようにしているのです。
その頃もかなり尊大な態度は有りましたが今ほどではありません。
権力の座に座ると人は変るのですかね。

私の出逢った人(10) 2004/8/3
ツネさんの話をしたのでみっちい先生の話をしましょう。
真藤爺さんの電電民営化では随分お世話になりました。心底応援してくれた一人です。この人の話題は多すぎて書き切れません。どこまでが本当で、どこまでが真面目なのか話を聞いていると訳が解らなくなります。
或る時、みっちい先生が元英国首相のサッチャー女史を日本料亭に招待したのだそうです。最高の料理を前にしてみっちい先生「この料理は日本の心です、即ち”色即是空、空即是色”です」と、訳の解らぬウンチクを並べたらしいのです。すると通訳がどう訳せば良いのか解らなかったようです。その時みっちい先生、やおら「カラー イズ スカイ、スカイ イズ カラー」と云ったと言うのです。勿論、サッチャー女史解ろうはずはなく、首をひねっていたようです。翌日ミッチイ先生、秘書を国会図書館に走らせて「空はエンプティである」とメモに書かせてサッチャー女史に渡したのだそうです。
その夜、鈴木内閣主催の正式な晩餐会が催され、正式に一人一人紹介されたのです。「渡辺美智雄大蔵大臣!」呼ばれてサッチャー女史の前に出ると、サッチャー女史「オォ、エンプティミニスター!」と言って握手してきたと言うのです。何処までが本当なのか解りません。なにしろ本人から聞いた話ですからね。
また或る時、わが社が国税の定期監査で引っかかり、幾ら説明しても”ダメだ”と言われて困ったことがあったのです。認めると6千万位の追徴金を取られることになるのです。仕方なくミッチイ先生の所へ行き、泣きつきました。「お前達!本当に悪いことはしてないのだな!」「先生、悪いことなどするわけないでしょ!」「本当だな!!」「誓いますよ!」先生秘書を呼んで「おい!国税庁の長官を呼べ!」すると直ぐ国税庁から3人やって来ました。さすがですよ。
先生がどのように話を切り出すのか、大変興味がありました。すると先生「お前達!俺が一ツ橋の出身というのは知ってるな!」「はい!良く存じ上げております」「そうか、それなら俺が税理士だというのも知ってるな!」「勿論で御座います」「俺はな、この会社の税理士だ!」そばで聞いていたこちらがビックリ仰天です。こんな税理士を抱えたたらえらいことです。お陰でわが社は事無きを得たのです。

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