碓井優 - 私の出逢った人

以下は、碓井優氏が呉三津田高校同期会の掲示板に掲載した記事を、転載したものです。

私の出逢った人(1) 2003/11/19
人生、色々な出逢いがあります。私の場合、真藤さんとの出逢いが人生を変えました。その真藤さんも1月亡くなり、奥さんも3ヵ月後に後を追う様に亡くなりました。今想えば、リクルート事件の裁判中にお二人をインドネシアに案内し、ハビビ大臣(後、第3代大統領)の私邸に泊まり人生談義をしたのが最初で最後の三人揃っての旅でした。
ハビビさんもやがて大統領となり、僅かの期間でその座を追われてしまいました。今は西独に住む方が多いようです。この人のお陰でどこに移動するのもパトカー3台でサイレンを鳴らして走りました。日本では考えられないことです。勿論、渋滞なしです。
何と云っても、真藤さんの偉いのは、どんな局面においてもひたすら生真面目に、一生懸命生きたことです。
 
我が師厳寒の睦月 静かに遠き彼岸に渡る
 波涛を走り続けること四代 九十二年を翔ける
 若年より産業を志し 技術の正道を行く
 行動を重んじ理屈を排す 知行合一の士なり
 天は老師に試練を与う その晩節は無情に沈むも
 返り観ればその功績は燦然たリ 如何なるもって否と言うか
 命をもって後世に道を拓き その魂今太虚にかえる

私の真藤さんを送る言葉です。心から冥福を祈っています。

私の出逢った人(2) 2003/11/21
この前ハビビさん(インドネシア第3代大統領)の話をしました。その話をしましょう。
或る所から頼まれてハビビさん(当時国務大臣)が統括する航空機製造会社と合弁を組むことになりました。場所はあの有名なバンドン工科大のあるすぐそばです。会社の内容ははソフト開発ですが技術者はゼロです、今から毎年新に教育して育てるということです。私がなぜ手をだしたかと言うと「インドネシアは今から産業を育てねばなりません。そのためには人を育てることが第一の条件です」と云うハビビさんの産業発展への思いが伝わったからです。前年40名ずつ日本に連れてきて三年間教育しました。バンドン工科大を中心に集めた人間はさすがに優秀でした。今は私とハビビさんの作った合弁会社で働いています。
ハビビさんの偉いのは、非常に先をみて手を打っていることです。
彼の飛行機製造会社では絶えず3000名の養成工を養っていますが、
彼は、これらのの人間が会社の外へ散らばって出て、下請けのような産業の裾野を広げてくれることを望んでいるのです。
それをみて財務官僚達は、「あれは学校なとか?会社なのか?」と言って冷やかしているようですが、彼は一向に気にする様子はなく、たんたんとして自分の理想を追求していました。

私の出逢った人(3) 2003/11/22
私がIBM,三菱商事と合弁会社を設立した頃、在る人に、岩崎家四代目の岩崎 寛弥さんを紹介され、それ以降大変親しくしてもらいました。ご存知一代目は岩崎 弥太郎で三菱の生みの親です。寛弥さんは現在の御当主で四代目です。三菱中興の祖と言われる岩崎小弥太は叔父に当たります。知り合った頃は三菱銀行に居て取締役営業本部長でした。
大変に豪放磊落な人で、大酒飲みです。「家は酒樽に浸かっているような家だった」とご本人が言っておられるので、相当若い時から飲んでおられたようです。「夕方から岩崎さんを探すのなら時間は掛からない」と言われていて、「東京會舘のバーへ行けば良い」と皆知っていました。会議中だろうが、接客中であろうが、眠くなれば”こっくり、こっくり”と舟を漕いで平気な人でした。
この人とは良くゴルフにも行きました、ある時、真藤さんやIBMの椎名さん達とラウンドした時、どうもいつもと違う岩崎さんなので(まったく当たらないのである)「どうしたんですか?」「いや、昨夜は失礼にならないように酒を控えたんだ」と云うのです。「柄にもないことをするからですよ」次のホールには茶店があった、また、その時都合よく中曽根首相が我々の後ろにいたので、パスさせようと言うことになり「お先にどうぞ」とやったもんだから時間が空いた、「岩崎さん、今だ!飲みなさいよ!」「解った!」それからは見違えるようにナイスショットの連発です。これを称して”酔っ払い剣法”と我々は呼んでいました。
岩崎さんの家は東大の竜岡門の近くにあります。「岩崎家は昔からこの辺りですか?」「いや、ここは岩崎家の馬場だったんだよ、昔は親爺殿が道楽して雉や鳩を放して鉄砲を撃って遊んでいたのよ」と言うのです。やはり昔の財閥はスケールが違います。
岩崎さんは今銀行も辞め(もともと働く気の全く無い人)家業の小岩井農場のオーナーに納まっています。

私の出逢った人(4) 2003/11/24
私の畑違いの友人に篠田正浩さんがいます。ご存知と思いますが、映画監督です、奥さんは岩下志麻さんで、大女優です。彼とはかれこれ30年の付き合いになります。私がまだIHIに居た頃の出逢いでした。
産業映画を撮ってもらったのがきっかけです。呉にも良く案内しました。ゴルフが好きで、今でも時々やっています。奥さんも一緒にやりますが、さすがに女優さんです。格好は綺麗でさまになっているのですが、球は何処に行くか解りません。旅行もしましたが、高所恐怖症ですから飛行機はさっぱりだめです。従って、女優の岩下さんは知らないのですが、篠田夫人の篠田志麻さんは知っている。と言う関係です。
彼は、映画監督と言うよりも、我々と同じシステムエンジニアと言った方が良いかも知れません。
呉に案内したある時、戦艦大和が話題になり、「どうだろう、もう一度 大和を造って、実物を使って戦艦大和の映画を撮ったら?」「なるほど 面白い!」「最後にもう一度沖縄の沖に引っ張っていって、自衛隊の潜水艦から魚雷をぶち込んで沈めたら、スケールの大きい映画になるんじゃあない」「そうだ!世の中不景気だし、活を入れるためにもいいかも知れないね」「造船業も喜ぶし、呉の街にはテレビ屋がわんさと押しかけるから活気がでるしね」「二千人の乗艦風景を撮れば水兵服もいるから繊維業も潤うしね」この頃も今と同じで不況だった。
そこで、戦艦大和をどう捉えて、どういちずけるか?と言うことになり 一晩中議論したのです。篠田さん曰く「大和神社だよ!戦艦大和は」 「あの浮沈艦大和があれば、日本は絶対に負けない!と信じ切っていたのだから、信仰だよ!当時の技術の粋を集めて、神社を造ったんだよ」 と言うことになり、その観点から大和のドラマを撮ろう。結論は出た。
さあ、どうやつて実現させるか、と言うことになり、設計部長も呼んできて色々話をしたら、外観だけで3、40億はかかるということでした 。篠田さんは東映に話を持ち込んだら「冗談でしょ、一つの素材に40億も金を掛けて採算が取れますか?」相手にされなかった。
篠田さんは丁度”地獄の黙示録”の宣伝のため日本に来ていたコッポラに話をしたら乗ってきた。「篠田、君は日本の連合艦隊を描け!私はアメリカの連合艦隊を描こう」期は熟した。しかし、残念ながら実現しなかったのです。なぜならコッポラは地獄の黙示録のためにフイリッピン に膨大なセットを組んだのですが、台風で跡形も無くやられ、再び大金 を使ってやり直し金を使い果たしてしまったからです。
この時のフワストシーンは決まっていました。碓井少年と5人の仲間が汗を流しながら坂道を自転車で登って行く、中ほどに来ると皆自転車を 捨ててトタンの塀に近ずく、トタンの破れた穴から向こうを覗くと大和がアップでドンと迫ってくる。そこで碓井少年が「あっ!戦艦大和だ!」と叫ぶのです。
篠田さんはこの前引退を表明しました。あの頃から撮りたい、と言っていた”ゾルゲ”を撮り終えて。しかし、私には「戦艦大和は別だからね」といっております。

私の出逢った人(5) 2003/11/25
私が真藤さんに次いで大変親しくしてもらい、また尊敬していた人がいます。コスモ石油の元会長中山善郎さんです。石油業界の重鎮でもありました。この人と私は浅からぬ因縁で結ばれていました。私には12歳年上の姉(腹違いの姉)が居て神戸に住んでいます。その姉の末娘(私にとっては姪)が大協石油の問屋に嫁いだのですが、その嫁ぎ先と中山さんが商売上非常に親しくしていたのです。それで、嫁いだ姪に男の子がうまれのですが、その名ずけ親が中山善郎さんなのです。中山さんと言う人は物凄く豪快なようで、また非常に繊細なところを持ち合わせた人で、絵を書かせれば(油)玄人はだしで、また俳人でもある粋人でした。名前を付ける日に酔っ払ってやって来て、「面倒だから、俺の名前でも付けとけ」と言って善郎と命名したのだそうです。
私はこのことは後で知ったのです。私に最初に紹介したのは新聞記者でした。この頃は私たちコスモエイティは日の出の勢いの頃で、設立僅か半年で二部上場企業のオリムピック釣具を三菱商事から買い取ったばかりの時でした。中山さんは「小が大を飲むか、その志たるや良しだ!俺もやるからな!」と意気込んでいました。
それからしばらくして大協と丸善の合併が行われたのです。中山善郎主導の大手石油会社の誕生です。この時中山さんは電通に金を払って新会社の名前を考えさせていたのですが、気に入った名前が中々みつからなかったようです。
ある時、いつも通っていた赤坂の金龍という料亭で麻雀卓をかこんでいました。上の座敷ではえらく賑やかに騒いでいるので女将に「誰だ!やかましい連中は!」と言ったら「中山さんですよ、碓井さんが下にいることを知っていますから、今に降りてきますよ」と言うのです。
しばらくすると住吉副社長と一緒に我々の部屋に現れました。かなり酔っ払っていました。いきなり「この野郎!うちの会社に、お前とこの下請けのような名前をつけてやったぞ!」「え、、なんて付けたんですか?」「コスモ石油だよ!何か文句あるか!」「嘘でしょ!」「嘘なんか言うか、喜べ!この野郎!」誰もポカーンとしていました。
中山さんとはよく金龍で逢いました。酒を飲めない私は付き合うのに苦労しました。またこの人の絵をめぐっては面白いいきさつがあるのですが、またの機会にしましょう。

続編へ

続編へ